≪YOUTUBE≫
https://youtu.be/mQlw-mDii0U
≪音 声≫
≪文字起こし≫
マウントの話を聞いて
心当たりがあって
痛みが出たと
で 感じたことを
自分の 気持ちの “痛み”
っていうのを
言葉と イラストにしてる人が
いたんですよ
いやー もう 知っちゃいましたね
芸術って それなんですよ
“気分がお宝” って
ずっと 言ってるじゃないですか
ここで
気持ち・気分 っていうのが
これもう 全員にとって
その フィール っていうのが
結局 宝物なんですよね
見えてるものではなくて
で さらに 今
もっと 突っ込んで
現実と 今の自分の気持ちを
切り離す っていうこと
やってるじゃないですか
だから とにかく
一番 大事にしなきゃいけないのは
自分の感じてる その気分
苦しい モヤモヤする とか
怒りとか
その気分を
現実と セットとか
他人とか セットにすると
自分のものじゃなくなってくるんよね
だんだん
だから とにかく 自分の 気分だけ
それを 大事に感じよう っていう
で じゃあ
それが できるようになったときに
その 自分の感じている
痛み 苦しみ
悲しみ 怒り みたいな
自分だけの方の 気分を
外に 表したとき
これが 芸術なんですよ
だから ピカソとか ゴッホとか
もう 本当に 何世紀も 語り継がれてる
絵画 芸術たち っていうのは
その人の中に 埋もれていた
“気分” なんですよね
あれが もう
外に出ているもの
それを みんなが 感じとるから
うぉー!っていう
だから あんまり 意味が
分かんなくないですか?
なんで こんな絵がいいんだろう?
とかって
説明しがたい っていうか
言葉だったり
絵だったり
音にしたりとか
それが 音楽ですよね
芸術です
だから どんどん
自分の内側にあるものを
大事にしてもらって
で 別に 今 それを
外に出さなくてもいいんだけど
芸術になるぐらい
価値のあるものだ っていうことが
言いたいワケですね
芸術になるぐらい
価値のあるものなんですよ
とてつもなく
だから すごくない
もっと 分かりやすく言うと
ディズニーランドとかって
あの ウォルトディズニーが 結局
ネズミに 命を吹き込んだ
あのイラストがさ
ぶわ~!って 展開されて
夢の国を 創ったワケでしょ
あれって 彼の
ワクワクの気分が
何世紀にもわたって 伝播して
私たちに 届いてるワケじゃないですか
ひとりの わくわくが
世界中に広がり
死んだ後でも
人類に 届いてるんですよ
始まりは 何かって言ったら
わくわくした “気分” だったんですよね
で 絵の方で言えば
その人たちが そのときに感じた
悲しみとか
苦しみとか
どっちかって言ったら
そういったものの 気分が
何世紀にもわたって
語り継がれて
見る人の心を こう 動かすっていう
だから
どっちかって言ったら
ウォルトの方は
“陽” かもしれないね
わくわくってしたエネルギー
で ムンクの『叫び』とかさ
あの辺とかは
どっちかって言ったら
悲しみとか
悩み 憂い とか
そういう方の 気分の方だと
思うんだけど
だから あなたが感じた
その瞬間の 気分が
何世紀にもわたって
持ち越されるぐらい
芸術であり
価値があるものだって
いうことなんですよね
それを すごく大事に
そして 表現した方々のものを
物質化されたものを見て
私たちは そのエネルギーを
感じてるワケですよね
葛藤もですよね
苦しい モヤモヤする
分からない
なんなんだこれ みたいな
だから 今は
絵とか 音楽とか 言葉とか
分かりやすいもので
表現しましたけど
別に なんでもいいですよ
粘土でもいいし
自分が ピンと来たものとか
そして 別に そんな
外に 作品として 出すとか
出さないとかじゃなくて
自分の “気分” が
芸術になるぐらい
価値がある っていうことが
言いたいです
どの気分ですら
だから
もし あんまり 苦しかったら
例えばだけど
芸術家になった気分でね
自分が もう 芸術家だと
分かったじゃないですか
今の 説明で
自分の気分は 芸術になって
後世 語り継がれるくらい
“気分” には 価値があると
理解できたところで
葛藤とか 苦しいとか 悩みとか
そういうものが 湧いて
もう どうしようもない
というときに
色にするんだったら
この色 何色だろう?
あと 音にするんだったら
どの音だろう?
あと 丸とか 三角とか 四角とか
シンボル的な 形に
捉えるんだったら
どんな形だろう?とか
その自分の 内側のものを
別に 実際 描いたりとか
なにか 音楽 作ったりしなくても
芸術家だから
その “気分” っていうのを
捉えるとしたら
どういう色で
どういう音で
どういう形かな?みたいな
風にしてみてください
それ自体に 価値があるから
で もし それが
すんなり 外に出せて
表現できる人が いるのであれば
ま 絵にしたり
音に乗せたりして
ぜひ 例えば
ご自分の インスタだったりとか
ブログだったりで
発信してみてください
私は 外に 表現したりは しないんで
そういうの
ブログで 文章には 書きますけど
留めとく
捉えるだけでもいい
人生そのものは アートである
私たちは 全員 クリエイターだ
っていう意味が 分かります?
現実世界の 社会で
見えてる言葉だけで 捉えると
クリエイターとか アートって
やってない人からしたら
自分がそうだと 思えないんだけど
ここに来てさ
気分に 価値があって
芸術とは
気分が 外に表れたものだ
っていうのが 分かれば
それは 人生って アートであって
自分って クリエイターだな っていう
視点に なりますよね
そらそうだろう みたいな
だって “気分” 持ってない人
いないもんね
“’羞恥心’ は どう芸術家に
昇華できるのかな?”
“羞恥心” っていう
その感じてる
“恥ずかしい” っていう気持ちを
どんな色か 感じてみて下さい
”アートは 見るだけだった”
アートを見て
「なんか 分かんないな」
でも いいワケですよね
感じてるワケじゃないですか
それも 感じてる 1個だし
そのとき その瞬間
自分が 感じたこと
色とか あと
数字も いいかもしれない
この 今の
“恥ずかしい”っていう気持ちを
もし 数字に表すんだったら
数字だったら 8かな?とか
分かんないけど
そういうさ 数字とか
色とか 音とか
で もし 作品にしなかったとしても
“メモ” は すごい お勧めしますね
どの音かな?みたいな
自分の 気分を
暗号みたいに 書いてみる
そうすると それも 別に
それ自体に 意味はないけど
自分のことを
知れば 知るほどに
いろんな物っていうのが
明晰に 見えてくるワケだから
その メモ っていうのは
あなたを 深く知るための
ひとつの 手引書に
なっていくと思いますよ
これさぁ やってたら
「いい・悪い」が
なくならないですかね
気分に関して
呪いが解けませんか
自分の ”気分” に 関しての
ジャッジメント
ネガティブな思考が悪い
ネガティブな気分が悪い
ポジティブがいい
ポジティブなものがいい みたいな
長年 刷り込まれた それから
解放されるような 気がしますけど
だから ポンちゃんがね
少し前
血みどろの ちょっと気持ち悪い
グロい作品とかが
すごい好き って言ってて
で それを やりたいんだけど
やっぱり そんなものは
みんなから よく思われない
みたいなことを
言ってたんだけど
私とかも
そういうの 好きなんですよね
それこそ
めっちゃ暗い話とか
もう どっちかって言ったら
取り付く島ない エンディングの
物語のが 好きなんですよね
ハッピーエンドより
もう この感情の 持ってき場所
最後 どうしたらいいの?みたいな
気持ち悪い終わり方 するやつとか
それこそ グロいやつとかも そうです
私は 作りたいんじゃなくて
見たい人なんですよね
で 多分 それは いつか思ったのが
自分が どっかで 置いてきた
殺してた感情を
私は この作品たちを見て
癒してるんだな って
思ったワケですよね
てことは 作ってくれてる方が
その 作品を通して
自分の 消化できなかった感情を
出させてくれてる
感じさせてくれてる
置き去りにしてきた 私の
その 気分たち ってのが
あるんですよね
多分 どっかで
この 今 感情 感じちゃダメ とか
そんなこと思っちゃダメとか
あと 自分に対する
否定だったりとかの
ミルフィーユにより
そのとき 素直に 感じれなかったもの
ていうのを
人が 作品として 出してくれることで
それこそ 過去の自分の
その 感情 気分
宝物を 引っ張り出してきて
癒してるんだな っていう
なので 自分が もし
一般ウケ まったくしないし
え?なんで こんな変なもの
って思うのを
作りたい っていう衝動が
もし ある人が いたら
そういうことです
見たい って思う人が
いるんですよ 必ず
あなたが 作りたいんだったら
見たい っていう人がいて
で その 見たい人 っていうのは
過去に 自分の 癒せなかった
その 気分たち
置き去りにしてきたものがあって
あなたの作品を見て
それがね 癒えるんですよね
みんなね これ
説明が ついてないだけで
勝手に それをね
感じてますね
”エログロい ドラマや 漫画
テレビで 放送されなくなったな”
そう 多分 もう そういうのを見ると
そうなる っていうことで
どんどん どんどん
排他されてったと 思うんですけど
でも やっぱ
跳ね除ければ 跳ね除けるほど
こう 闇が 強くなっちゃうんだよね
結局ね
見ないようにしてると
強まるよね
“臭いものに蓋” じゃないけどさ
”自分の作品が
誰かを 救えるかも って思うと
とっても 嬉しい気分だ”
多分 自分が それを作りたい
で 作ってるときに
そもそも 本人が
癒しが起きると思うんですよね
だって 自分のパッションに従って
作りたいものを 生み出した
自分が癒される ってことは
自分の世界が すべてなんで
他人も いるようで
本当は 自分だから
自分が 癒えるってことは 結局
他人も 癒しちゃうんですよね
勝手に
”どんな感情も 感じていいよ って
初めて 自分に言えた”
いえーい!
よかったですー
自分の “気分” には
芸術になるほどに
価値がある
おあとが よろしいようで
(2020年06月13日 HTL配信より)