≪YOUTUBE≫
https://youtu.be/A0ZyjX4A4y4
≪音 声≫
≪文字起こし≫
”自分で創り出した他人
そうだよね”
って コメント ありますけど
ほんと これ 忘れちゃいけないよ
全部 “私の世界” で 起きてることだから
“他人” と 見える その人も
“私” が 創り出してるものなんですよ
“(Happy)所長が 現れたのも
そうですか?”
そうですよ
私が しゃべっているように見えて
あなたの視点から見たら
Happyちゃん っていう人って
実は いないんだよね
あなたの世界で
Happyちゃんが 存在してるだけで
私が 私の視点で見ている
Happyちゃん という存在とは
また 違うものなんですよね
だって あなたが 寝ているとき
本っ当に 私 所長は
存在してるんでしょうか?
あなたが 起きた瞬間に
所長 っていうのが
あなたの 現実世界に
また 登場していませんか
自分が 寝てるときに
あなたが 見てくれてる この
所長っていう存在が
本当に 世界にいるのかどうか
あなたが 眠ってしまったら
確認する術 ないですよね
でも 自分が あなたが
目が覚めたら
あなたの 現実の中で
所長 っていうのが
再び 現れると思う
でも じゃあ 所長が
実在するのかどうか っていうのは
どこまで行っても
からなくないですか
だって 自分が 寝てるときに
本当に その人が いるのかどうか
だから HTLの 私の視点からしたら
HTLのメンバーが
こうやって いてくれることが
今の私の世界に
起きてることなんだけど
でも 私が この後 眠ってしまったら
本当に 本当に 世界が動いて
本当に そこに
HTLのメンバー っていう
みんなが 本当に
存在してるのかどうかは
私が 寝ているときは
何も 起きてないから 私の中で
実在しているかどうかを
調べる術がない
シュレディンガーの猫です これ
私 でも これ
すごく 結構 よく考えるね
あー 本当に 実在するのかどうか
すべてが 本当に 分からない
世界にいるなー っていう
例えば 今まで 私の世界に
“やすらぎの里” っていう
断食のワードも
なかったんですよ まったく
でも いきなり 今回
私の世界に 飛び込んできて
認識が 私の中で
始まったワケですよね
“やすらぎの里” は
何十年も前から
この世界に あったんですよ
でも 私は 一切 知らなかったし
一切 認識も してなかったから
私の世界では つい最近まで
なかったものと 同然なんですよ
私の世界では なかったんですよ
それが いきなり 現れたのは
私が そうやって
認識を し始めたから
“やすらぎの里” っていうのが
自分の世界に 存在し始めた
だから 認識しなければ
ないのと 同然なんですよ
自分の世界に
この体験 私 いまだかつて
まだ1回しか 起きてないから
あのときの感覚が 本当に
今でも 不思議なんだけど
でも 多分 まぁ理論上
まあ そうだろうな っていう
どんな話か っていうと
『天の川伝説』の
ミュージカル 作ってるときに
1回 しーちゃんと
すっげー 大喧嘩したことがあって
で うわーって 言い合ったんだよね
そのときに
あっ しーちゃんも “私” だった
っていう
それは あの人も この人も “私”で
ワンネス とかっていう
そういうのではなく
しーちゃんを
“しーちゃん” っていう
役をやっている
自分の感覚になったのよ
そのときに うぉーって なって
言い争って 結局
分離に なってたんだよね
でも 多分 その局地的な 出来事が
あぁっ 私
今は 私 “Happyちゃん” って
やってるけど
“旺季志ずか” って
やってるときがある っていう
あっ それがね うわって
全身に 入ってきたときに
はっ!待って!みたいな
あの人も この人も その人も
私 やってるわ っていう
でも よく考えたら
そらそうや みたいな
だって ソースが ひとつなるものである
その バシャールで言うところの
“ All That Is “ だっけな
大いなるすべて
“ The One “ だよ
大いなるすべての もっと
それを 網羅するもの
The One が 全部に 枝分かれして
こうなってるから
ていうか
The One の視点に立ったらさ
全部が そうだよね
その役を やってるよね
今 私は “前田紗智” っていうのを
やっていて
で “旺季志ずか”
っていう人間がいるって
認識をしてるの
でも あるところで
“旺季志ずか” が 自分だと
思い込んでいて
“前田紗智” っていうのが
自分の世界に 登場している
登場人物だって思っている
その タイムラインが あるってこと
私は 今 “前田紗智” だと
思い込んでるんだけど
違うところで
「私は “旺季志ずか” だ」って
思い込んで
“旺季志ずか” を やってるところが
あるってことなの
おもしろいよね
“頭じゃ この話
まったく 分からないのに
混乱しているのに
どっかで 知っている自分も
いる気がする”
するでしょ
これ 絶対 そうだと思うもん
たまたま 今回 私は
“前田紗智”だ って
思い込んでるだけなんだよ
で “旺季志ずか” が 別の人間だって
思い込んでる
でも あるところでは
「私は “旺季志ずか”だ」って
思い込んで
“前田紗智”は 別の人間だ って
思い込んでる
それを いろんな 自分だって 思い込んで
その都度 その都度
やってるんだよね
結局 全部 自分やんけ みたいな
“’私’ って なんやー?”
ねー なるよね
そうなるよね
興味深いよね だから
“私” って 思い込んでる
そうなの この辺まで行くと
本当に
なんなんだろうな っていうね
“でも そうすると 本当に
全部 自分で
どうにかできるんだなって思う”
マジで そうなんです
だからさ それこそ
まぁ 大袈裟な話 言うとさ
「“エジソン”が 自分だ」って
「私は “エジソン”だ」って思い込んで
エジソンやっている場面も
あるワケよね
それは全員
そのときは
“エジソン” と “前田紗智” は
同じ地球のタイムライン上には
いないけど
「私は “エジソン”だ」って思い込んで
エジソン 演じているときは
“前田紗智” っていう人間は
赤の他人なんですよ
でも 今 私は
「”前田紗智”は 私だ」って
思い込んでいるから
“エジソン”という存在は
私からしたら
まったくの 赤の他人って
思い込んでる
“前に (Happy)所長が 言ってた
「他人を自分だと思う病気」は ない
って話と つながるの”
そうですよ その話です これ
そうなのよ
その病気って 存在しないじゃん
って 私 この体験が 起きたときに
思ったんだよね
私が 他人のことを 自分だと
思い込んでいる病気が 存在しない
それが 成り立っちゃうと
この “存在ゲーム” が
成立しなくなるからね
“記憶喪失になった人も
‘自分は自分’ と 思ってるよね”
そうなんですよ
例えば こういうことです
“旺季志ずか” っていう 存在を指して
「これが私です」っていうような
ことを しちゃう病気って ないよね
自分の中に
入れ替わりの人格が 入ってくるとか
そういう病気は 存在しても
自分の存在を 置いといて
誰かを指して
ま すげー 変なこと 言ってんだけど
「これ 私っていう存在ですよ」って
そんなことを 言っちゃう 病気が
存在してなくない?っていう
で この病気が 成立しちゃうと
そもそもの “存在ゲーム” っていう
今 やってるゲームが
成り立たないな って
思ったんですよ
結局 そういうことです
結局 今だって「自分だ」って
思い込めてるから
“自分” っていうのを
今 やれちゃってるだけだよね
これ 思い込んでるから
やれてるだけだよね
そもそも 存在の
第1発祥が
思い込みから 発生している
だから 全部が 思い込みなんですよ
“演技してるということかな?”
そうなりますよね
“前田紗智”だと 思い込んで
今 演技してるんですよね
役を演じてる
それは 舞台の上で
女優さんが 何々の役を
自分は この人だと 思い込んで
演じるように
あなたも あなた自身だと 思い込んで
その役を 今 演じてるんですよね
舞台で その役に 入り込んで
自分が そのものだって 思い込んで
演じてるときは
まあ それこそ
素晴らしい 演技をして
演じるでしょうが
ひとたび 舞台を降りたら
その役が 自分という存在とは違う
っていうことが
しっかり 認識できますよね
それは あくまで 舞台上の役を
演じてただけで
その舞台を 降りたら
その存在ではないワケですよね
今 私たちは この人間の
○○さん っていうのを
こうやって
地球っていう 舞台の上で
演じちゃってるワケですよね
だから 死ぬと
全部 思い出すんですよ
舞台を 降りるから
なんだ みたいな
大きくて 元の 広い視点に
元に戻る
そうすると
あー もう なんだ
全部 喜びやったやん
っていうことが 分かりますよね
だって そうだよね
舞台の上で
あなたが 女優として 演じて
もう どんだけ 迫真の演技で
苦しい 苦しい 苦しいって
そのものの感情を 味わいながら
苦しみを 演じたとしても
はい 終わり~!
今日の稽古 終わり~!とかって
舞台から 降りた瞬間に
さっ 飲みに行こっか
みたいな感じになりますよね
それと一緒ですよね
地球って 今 舞台で
迫真の演技を
絶賛 してる最中
でも 死ぬと 舞台を降りるから
おいおいおい
えらい 入り込んでたね
みたいな
そうすると 何が起きるか っていうと
なんや~
もっと やりきっときゃ良かった~!と
思うと 思いません?
舞台の上から 降りたときに
なんか 中途半端な舞台の上で
演技してたりしたら
演じたりしてたら
なんや もっと 振り切って
やっちゃったらよかったやん って
何も 怖いことなんて
本当は なかったのに
もっとやればよかったって
思うじゃん
そうするとさ
もう1舞台さ
踏みたくなるじゃん
だから また 生まれてくるんですよ
なんや も1回やろっ!みたいなさ
じゃあ その
演じる 振り切り方 って何?
っていったら
もう 今世の この “私” っていう もう
自分の 好きとか 嫌いとか
好みとか 心地いいとか
もう この感覚とかを 全部
大事にすることが
迫真の演技できる ポイントですよね
“だから 好きに 生きていいのか”
そういうことです
だから 私は 個人的に
自分の 母親との関係性 っていうのも
まあ まだ 今世 生きるから
変化していく可能性も 高いけど
これが 分かってるんで
舞台を 降りてからね お互い
ハイタッチで 飲みに行こう でも
別に 問題ないかな と
思ってるんですよ
地球っていう
その 今の舞台上で
ハグ みたいな感じに ならなくても
どうせ この地球っていう
舞台を降りたときには
はい カット!って言って
すべてが終わって
よし!飲みに行こう!みたいな
のに なっちゃうんで
だから それを
その舞台の上の ストーリーの中で
やってもいいけれど
別に 舞台 降りてから
舞台を降りた後は 本当に
どんなに 戦ってた相手とか
仲悪かった相手とか
恨み合った相手とかでも
みんな握手!なっちゃうワケですよね
舞台 降りたら
いい演技 お互いしたね!
みたいなさ
お疲れちゃん!ですよ
それこそ
“寝るときは 毎回
舞台 一時 降りるときなのかな?”
Yes!そうです
そうなんですよ
舞台を 1回 降りてるんですよ
“舞台 降りてからにするわ
飲みに行くの”
気 楽にならない?
私 すごい これね
気が 楽になったんだよ
なんだ そういうことか みたいな
舞台を 降りたら みんな ハグ!
みんな 握手!なっちゃうワケだから
この 今の 舞台上では
いがみ合おうが
恨み合おうが
まぁ 本当に それは
ただ お互い 役を演じてるだけだから
ほんと そもそもね
演技なんですよ これ
ソースという存在が
地球という舞台を
ステージの上で
それぞれ “私” という存在を
演じてるんですよ
(2020年04月19日-2 HTL配信より)