≪YOUTUBE≫
https://youtu.be/J8HPa6_yIw0
≪音 声≫
≪文字起こし≫
暴走したエゴ(=エゴキンマン)。
エゴキンマンの声を止めること。
恐れに 飲み込まれない。
今 苦悩の中にいる方は
自分の中で 逃げ続けてきた
恐れ そして 無条件の愛。
このふたつに
向き合う時期に 入っています。
恐れ。
そうなったら 怖い。
そうならないように 動く。
この 恐れの中に
自己が 呑まれてしまっている
タイミングだと
人は 我を見失います。
自分自身じゃなくなってる
ってことですね。
正気じゃなく 狂気になってる
ってことですね。
本当の その人自身では
なくなってしまっている
ということ。
今までは
この恐れが出た タイミングで
焦って動く何かをするという 力技で
なんとかなって きてしまったものが
ここに来て
どうにも こうにも 行かなくなり
何が 起きているかも
混乱している状態のため
余計に 動こうとして
焦りが出て
怖くて 怖くて 仕方がない。
例えばで 例を出してみます。
ママ友の誘いに 乗らないと
ハブにされる。
怖い。ひとりになるのが怖い。
大切な 我が子も
いじめられてしまうかもしれない。
怖い。怖い。嫌われることが怖い。
批判されることが 怖い。
大切なものが 傷つけられるのが 怖い。
だから 守らなきゃ。
そうならないように。
それが 起きないように。
無意識に
自分の心に ピンと張り詰めた糸。
恐れと 隣り合わせで生きる
あなたの細胞は 緊張状態。
身体が徐々に
悲鳴を上げ始めます。
これが 病気になっていく
きっかけの 内容ですね。
ここまで自分の内部を
言語化できてしまえば
全然 問題はないのですが
大概は
深く自分の中へと もぐることなく
表面で とらえます。
ママ友の誘いには 乗らなきゃ。
自分がなんで
そうしなきゃいけないと思っているか
そこに隠れている
恐れを見ることなく
あくせく動くことで
気を紛らわします。
これがね
エゴキンマンの 仕掛けてくる
巧妙な 手口ですね。
私が思うに
恐れとは 非常に強い 存在感と
得体の知れない
大きなエネルギー感覚を
まとっている感じが あります。
自分が 怖さと向き合う
対峙する時に
いつもこれを感じるんですよ。
圧倒的な 存在感っていうか。
で、それに触れると
身体が 硬直する感じがするんで
そこに 行きたくないがゆえに
思考を 麻痺させる。
そして 身体も酷使して動く
っていうことを
今まで やってきてたんですよね。
私は。
ふっと触れるだけで
逃げたくなるのです。
その感覚と ともにいること自体が
恐怖なので。
すぐに 考えないようにする。
もしくは 焦って行動することで
気を紛らわしたくなります。
自分の中に 深く眠っている恐れを
見ることなく
頭でとらえた その恐れを
物質世界での見える物
(環境 や 人間関係)を
どうにかすることへと
すり替えを してしまう。
現実さえ 変われば
私は幸せになれるという
幻想の中で
それをずっと 追い求め続けるために
永遠に 幸せになるための行動に
走らされ続けます。
こちらも
暴走したエゴのしわざです。
このパターンが 原因です。
そんな時は
じっくり深呼吸して 落ち着いて
この恐れは いったい
どんな感じがするかと
その恐れの感覚と共に
しばらく一緒にいてください。
つかみどころのない
その 得体の知れない
恐れの存在感を
否定するでもなく
拒否するでも
逃げるわけでもなく
ただ ぐっと腹に力を入れて
そこに留まる 決意をするのです。
深呼吸。静寂。止まることを
暴走エゴは 嫌います。
正常なエゴの役割に
戻してあげるためにも
指令通りに 動かないことです。
そして 質問してください。
私は何をそんなに
恐れているんだ?と。
ひとつずつ
自分が「こうなったら怖い」
と 思っていることを
丁寧に 丁寧に
洗い出していきます。
その怖さを感じるのは
当たり前。
自分の「怖い」という気持ちに
寄り添います。
最後に
それって 本当に 本当に 問題なのかな?
この質問で 締めてください。
ひとりになる事って
本当に問題なのかな?
いじめられる事って
本当に問題なのかな?
本当に 本当に そうなのかな?
問題と思っていることに対しての
問題提起の質問を
自分にしておくことで
その後 なにかのタイミングで
必ず答えを見つけます。
例えば なんでそんなに
悩んでいたんだろう?
と思うような情報や
なんだ 全然問題ないじゃん!
と 思わせてくれるような
人との出会いが あったりとか。
こんな具合に。
ここまで来たら
コングラチュレーション。
あなたの中の恐れのスタンプが
ひとつ押されて
攻略したってことです。
今まで 恐れから
それを問題だと捉え
恐怖から動いていたことを
あなたはしなくなる。
なぜなら 怖くないから。
問題でもないから。
自分の手で
自分をひとつ 自由にしてあげた。
勝利を勝ち取った瞬間です。
おめでとうございます。
恐れ自体を
主人にしないでください。
私自身が
恐れの上に君臨する
主人なのです。
何も恐れることなどない。
どこまでも自由だ。
自分の心の主人は 私自身である。
この 本来の存在状態を
思い出すために
それらは 起きます。
四六時中 不安や恐怖で
頭の中が 支配されてませんか?
暴走したエゴに
主導権を握らせるのは やめ
深い呼吸を通じて
静けさを
自分にもたらせてあげることで
自分の中に 必ず平安が 訪れます。
なぜ人間は
暴徒化すると思いますか?
なぜ批判的になり
攻撃したり
人の物を奪ったり
人が暴徒化する要因は
恐れの中に
その人がいるからです。
自分の人生 自分の存在を
自分が主人ではなく
恐れを
主人にさせてしまっているがゆえに
その行為に 走ってるわけですよ。
人の物を奪わないと やっていけない。
人を攻撃して
相手を打ち負かすことで
自分の力を感じられるから
やらないといけない。
それは全部 恐れだからですよね。
ということは
批判を避けたり
攻撃を避けたり
奪われることを避ける ということは
すごくおかしいことですよね。
根本的な 解決原因に
なっていないですよ。
根本的な 解決の要因は
自分の中の その恐れと
対峙する仕方を
身に付けることですね。
これの攻略さえ
できてしまえば
恐れから解放されるので
恐れが出てくることに
恐れが出ないですね。
私もこれを 何回か繰り返す中で
発見したんですよね。
恐れっていうの
すげー存在感だな。みたいな。
だからね。
自分の深いところに
もぐることなく
行動で紛らわせて
その行動で
現実が ちょっとでも変わったら
安心感!みたいな。
でも この安心感って
偽物なんですよね。
例えば 今回 例で出した
ママ友にね。
誘いには 乗らなきゃいけないって
無意識に思う。
それは 恐れですよね。
嫌われたくないから
ハブられたくないし
子どもも
危ない目に 遭いたくないから
ママ友の誘いには 乗らなきゃ。
で、誘いに乗って
ヘラヘラそこで へつら笑いして
嫌われなかった。今日も!
てやると
これ安心感ですよね 一応。
でも これ
本当の安心感じゃないですよね。
その場所が崩れたら
いつだって 自分の存在が
傷つけられるっていう。
その砂の城の上に
立ってる状態ですから。
「幽霊の 正体見たり 枯れ尾花」
ことわざ ありますよね。
そんな感じですね。
怖い 怖い やってるから
余計に怖くなるんですよね。
これもですね。
私の書く内容は
全部 頭の中の話なので
行動レベルのことでは ないんですね。
例えば ママ友の誘いに乗らなきゃ!
って 思って
焦って動くのやめましょう。
って いうだけなんで。
本当に別に
誘いに乗らないっていう選択を
しないってワケじゃないんですよ。
別にそれができたらいいとは
思うんですけど
このワンクッション
ちゃんと 自分の深い呼吸を通じて
自分の中に深く潜って行って
嫌われると思ってて
嫌われて ひとりになったら
もう世界が終わる。って
そのぐらい 怖さを感じてるなって。
でも そこまで
怖いものじゃないかもしれない。
で 呼吸を続ける。今この瞬間。
で、これを繰り返した後に
「誘いを断ろう」っていう
アクションになるかもしれないし
このアクションをとった後に
そのまま ママ友の誘いに
乗るかもしれないじゃん。
その選択は 自分で決めて
自分で 決断すれば
どっちでも 正解なんですよ。
私は 怖さと向き合った上で
「今日 ママ友の誘いに乗ろう」って
嫌われるのが怖い と
きちんと自分で 認識した上で
正気になっていくのと
誘いに乗らなきゃ!
誘いに乗らなきゃ!
みたいな
それこそ 田吾作状態で動くのじゃ
全然 違ってくるんですね。
で 肚で決めて 向かってしまえば
その同じ状況に いたとしても
全然 捉え方も違ってくるし
いつもより ドスンと
その場所に 君臨できると思います。
だから
お金がなくなる
働かなきゃ 働かなきゃ
どうしよう どうしよう って
その時に 動くのではなくて
焦ってるから 仕事を探さないとか
そういう 行動レベルの話じゃなくて
自分が 盲目的になってる時には
深呼吸して
あー。怖さを感じてるな。って
この怖さはなんだろう?
お金がなくなって
底を尽きて
食べるものがなくなって
みんなから見放されて
ひとりになって
世界から 分離された感覚。
あー これ怖いわ。怖い 怖い 怖い。
でも ここまで来て
問題なのかな。問題なのかな。
これね。口にするといいですよ。
「それって 本当に 問題なのかな?」
「問題なのかな?問題なのかな?」
って質問をしてください。自分に。
で ここまでいった上で
やってください。
仕事を探すっていうことも。
そうすると 正気の状態ですから。
自分は今
恐れを感じている
恐れの主人に
ちゃんと君臨できてます。
これ結構 すごい核の内容ですね。
この現実を生きていく上で
恐れがベースで
人類は 動いてるんで。今。
ここきちんと見ない限り
どんなあなたが現実
素晴らしいものを 作ったとしても
恐れの下に 自分がいて。
存在が。
その現実の中に
いるっていう感じに なっちゃうよね。
どんなに素晴らしい
現実を作り出しても
恐れをきちんと見る アレがなければ
いつだって「怖い 怖い」言いながら
動き続けないといけないですね。
戦争だって
恐れからできてますからね。
今 地球で起きてる
問題と言われる すべてのものは全部
人類の恐れからですから。
恐れは いつまでも何度も
みんな来ます。
扱い方だけですね。
なので私は
これをもう何回も 何年間
繰り返してきてるんですよ。
特に 表現者として立つって いった時の
私の中での 一番のネックは
批判の声だったんで。
ネットをね。
今までやったことがない人間が
いきなりネット上で やり始めたら
もう どしょっぱなから
めっちゃ批判されて
それが すごい怖かったんですよ。
最初の頃はもう 自分の家に
脅迫状とか
送られてくるんじゃないか?
とかいう 幻想を抱くぐらい
恐れの中に いたんで。
でも これを毎回やってたら
自分の生きたいように
生きれないんだな。
っていうことに 気がついて
自分の中から 恐れが出るたびに
なんなんだろう?って。
現実を変えて
自分の心を
安心させるんじゃなくて
これは 自分の この恐れと
きちんと向き合わないと
何も変わっていかないな。
というところに 着眼してったんで
こっちをやってた。ずっと。
LINEの返事を
すぐしないといけない。
とかっていうレベルの内容から
いちいち 恐れが出てるなと思って
「変な人に思われたら嫌だ」
っていうのも 恐れだし
で そうやって やっていったら
恐れが主人になっていた
私の人生が
私の存在自体が
恐れをコントロールする立場に
なりえたんですよね。
それを積み重ねていった結果
わざわざ自分で
「四面楚歌になってみたい」
とかっていう
レベルまで行ったり
今 なにかを言われても
他人ごとみたいに
「へぇ~!ふぅ~ん!」
みたいな感じにまで
至れたのは
恐れを大事に 扱ってきたから
ですね。
だから 今
すっごい怖い状況にいる人は
すごい チャンス!!
ビッグチャンス!!ですよ。
恐れを あえて生み出そうって
自分で できないから
今 たまたま その状況にいる人は
今回の この攻略方法で
きちんと 今まで避け続けてきた
それは 今回の事象に限らず
きちんと 向き合ってください。
それは 現実的なものの
話じゃないです。
恐れと向き合った上で
あえて きちんと
その恐れの中に 飛び込んで
動くっていう 選択をするのか?
今回は いつもと違う 選択をしよう。
っていう 現実的な 行動をとるのか?
それは 自分で決めて 自分で行動する。
でも どちらの選択にしても
恐れを捉えている
私である以上
どちらも力強いです。
だから 頭の中に 静寂をもたらしたり
ただ座って深呼吸することが
現代人 難しいんですよ。
恐れに乗っ取られて
エゴキンマンって
恐れの王様なんで
で そのエゴキンマンの正体
何かって言ったら
すごくパワフルな
見守って許容する
王様なワケですよ。
大切な女性性。
女王様の望みを
見守って許容して
そして じゃあ動こうって
行動に移してくれる
パワーをもたらす
王様なんですよ。本当は。
だから 本当の姿にね
自分で 変容してあげてください。
エネルギーの変容ですね。
(2020年01月27日 朝 HTL配信より)