≪YOUTUBE≫
https://youtu.be/AU3Fqh2vSrc
≪音 声≫
≪文字起こし≫
『ゾルバ・ザ・ブッダ』
ですね。
ゾルバ・ザ・ブッダ
OSHOの言葉なんですけど
意識の現れが現実である
っていうことを 知った時に
やっぱり ちょっと
陥りそうになったのが
“だったら
現実どうでもいいじゃん
症候群”
ね。
それこそ 自分の中だけで
完結してれば
別によくない?
みたいな。
やらないけど
山の中にさ こもってさ。
ひとりで 意識について考える。
みたいな。
でも 今ね 実際
社会っていうフィールド
現実っていうフィールドで
生きている 自分がいて
あくまで このフィールドを
楽しむために
この内容は あるはずだって。
私は 今それを 知り得たんだ。
って思ったから
しーちゃんからね
ゾルバ・ザ・ブッダの話を聞いて
「私 その生き方しよう。」って
思ったんですよ
ゾルバ・ザ・ブッダについて
詳しくご説明します。
ゾルバ・ザ・ブッダというのは
ゾルバのように 地に足つけて
人生を 豊かに情熱的に生きる
という側面と
ブッダのように 天とつながって
スピリチュアルに生きる側面
の
両方をあわせ持つ人間
ということです。
自分で言っちゃうけど
私 今 この状態で 生きてますね。
現実っていうのも大事に
人生を豊かに
情熱的に生きる側面と
ブッダのように
天とつながって
ソースとつながって
スピリチュアルに生きる
の
両方を あわせ持つ人間。
私のディスコ
私のレストランは
ゾルバ・ザ・ブッダと呼ばれる。
まず第1に
私は ゾルバであり
それから 私は ブッダだ。
覚えておくがいい。
ふたつのうちの
どちらかを
選ばなければならないとしたら
私は ブッダではなく
ゾルバを選ぶ。
なぜならゾルバは
いつでもブッダになれるが
ブッダは 自らの崇高さに
縛られるようになるからだ。
彼には ディスコに行って
ゾルバになることはできない。
そして 私にとって
自由には 最高の価値がある。
自由以上に大切で
貴重なものは何もない。
OSHOの言葉なんですけど
ゾルバっていうのは
この世俗的な世界を
欲の限り生きた。情熱的に。
それこそ 欲まみれ。
みたいな感じです。
欲まみれで 生きて
欲に溺れたっていう
ゾルバがいるんだけど
そのゾルバに
欲まみれでいいんだけど
ブッダの資質が
あわせ持ったら
きちんと内なる存在
自分と繋がって
天と 内なる神と つながって
っていう
生きる側面があれば
最強だと。いう
このOSHOの。
私 これ すごい大好きで
だから今 私は
ソースとつながりながら
欲まみれで生きるっていう
ことやっています。
そうすると
欲に溺れることはないですね。
なにが いちばん大事か
分かっているんで。
そして OSHOが
言及しているのが
ゾルバか ブッダか 選べ
って言われたら
ゾルバになれと。
ブッダに振り切るのは
危険だって。
私も それを
やりそうになった。
山で洞窟。崇高さ。
みたいな。
そっちに振り切ると結局
世俗的な欲の方に
振り切れなくなる。
楽しみが 多分なくなるから。
三次元の。
まさにじゃない?
ゾルバは いつでも
ブッダになれる。
でもブッタは
自分の崇高さに縛られて
ゾルバになることができない。
ブッタには
ディスコに行って
ゾルバになり得ることが
できない。って。
見解してるんね。
いちばん大事なのは
自由だと。
自由が最高の価値だ。
選べて自由。
それ以上に
大切で貴重なものはない。
めっちゃ エンタメ
やってるやん。私。
ディスコとかいって。
すげー 下着みたいな格好で
サタデー・ナイト・ヴィクトリア
とか
やってましたよね。
SNSやめる前。
もう ゾルバの極みですね。
そう。なので
この頭の中でいますね。
ゾルバであり
ブッタでありたい。
って思ってます。
三次元を
欲の限り生きて
そして ソースとつながる
ブッダでありたい。
なので これからも
エンタメやって
服作って
化粧品立ち上げて
ていう この ゾルバの側面。
でも そっちにばかり
フォーカスして
ずっと 動き続けると
ブッダの側面を
忘れてしまうから
あくまで大事なのは
自分の内なる
ソースとの同調。
ていうね。
(2020年01月24日-2 HTL配信より)